第05話 『汽車』

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中央行きの汽車が出発する鐘が、プラットホームに鳴り響いた。
 ボクはようやく空いている座席を見つけると、肩から革鞄をおろした。
 数日前からボクは館長を探す旅に出ていた。一応、表向きは長期研修という形になっている。これはメディア副館長の考えだ。その方が広く回ることができると。
「ついでだからいろいろと見ておくといいわ。勉強になるでしょ、ボウヤ」
 もう成人したから、せめて名前で呼んで欲しいと心の中で思ったら、副館長はにこりと笑った。なんだか見透かされているようで怖かった。
「無事に帰って来て良い男に成長したら、『キミ』に格上げしてあげるわ」
 そう言うと、本来ならしなければならない細かな手続きをうんと飛ばして、許可のハンコを押してくれた。そして餞別(せんべつ)として、途中の駅まで区域の汽車の回数券1枚もらった。

鐘が止んだ。汽車が鳴らす高圧の水蒸気が噴出する音を合図に、ガタ・・・とぎこちない動作から、だんだんとすべりが良くなった。
「あ」
「おお、動いたぞ」
 ブックがはしゃぐのも無理はない。ボクだって汽車に乗るは今回で2度目だ。1度目はプラットホームに近づいたが、今はその反対だ。駅が小さくなり、そして、見えなくなった。
「すごいな。ソフィーといた頃は、こんな動く箱はなかった」
「汽車ですよ。それともう少し声を抑えてください」
 まるで子供みたいだ。興奮しているブックを窓の近くに置いてやると、前もって出しておいた地図を広げた。
 “風の山頂”まで線路がないため、そこから3日半も下った先にある町の駅から乗っていた。回数券が有効な範囲の駅に降りてからは、キャラバンにくっ付いて行くなりすれば、大陸の中央に位置する“賢者の都”に辿りつくことができるだろう。
 あの封筒でわかったことは、押されたハンコの図柄や色からそこのであることだけだ。郵便局へ行っても情報は得られない気もするが、もしかしたらの可能性もある。何ならかの手がかりが見つかることを期待した。

地図から目を離す頃には1つ目の駅が少し流れ、止まった。屋根のない小さなホームで待っている人は多く、ドアが開いたとたんに車内はかわって賑やかになった。
「座ってもよいか」
 古ぼけた灰色の外套を着た男性が、反対側の席を覗き込んできた。フードから骨の形が目立ったアゴにそってはみ出ている、ボクと同じありふれた鳶色(とびいろ)の髪が見えた。
 すぐさま立ち上がって道を開けると、その人は向かいの席に腰を下ろし、背負い袋を床に置いた。ボクはブックを手元に寄せてから座りなおした。
 しばらくして横の線路に別の貨物列車が通りすぎてしまうと、汽車は、遅い動作で再び動き出した。

やがて、荒野を走り抜け長い橋に差し掛かった。車輪を回す音と蒸気が吹き上げる音のなか、流れ続ける幅広い川が一瞬にして遠ざかっていく。
「なぜ川は流れるのだろう・・・・・・」
 驚いて窓から視線を外した。向かいに座る男性は、もう見えなくなったはずの川が見えているかのように、目を動かさなかった。睨んでいるかのようにも見えた。
「川と海は繋がっているが、海が川に流れることはない・・・・・・これは如何に」
 自分に尋ねてきているのだろうか。もしそうなら、どう答えたらいいだろう。川が海に流れることは当たり前だ。そうなのに、すぐ言葉が出てこなかった。迷っている内に、男は構わず続けた。
「当たり前だと思われるが、同じことが言えるのはこの世界・・・雹に覆われているのは如何に。如何に彼らは女神のことを知らないのに称えるのか・・・・・・」
「川が海に流れるのは・・・山から流れているから、海はその流れに逆らうことができないからだと思います」
 慎重に言葉を選んで答えてみた。言ってしまった後になって、いきなり無遠慮だったかもしれないと後悔し始めた。けれども、ボクの思っていたことと反対に、相手はとても驚いたような声を上げた。普通なら目を細められてもおかしくない。
「ああ、すまない。気をつけてはいるのだが、独り言はいつもの癖でね。気を悪くしないでくれ」
「いいえ」
 気にしないでくださいと付け加えると、その人の額に寄せていた気難しさが和らいだ。
「わたしにもそんな時代があった」
 ボクのコートの裾と袖口からはみ出ている真っ黒なローブを見て、そう思ったのだろう。
「本を読んで理解しても、それが本当なのか確かめるのも大切なことだ。この世界は無限の可能性がある。そう・・・いろいろとね」
 館長が言った言葉と似ていた。なんだか懐かしい人に会ってしまった感じになってきた。まだほんの数日しか経っていないのに、記録館のことを思い出した・・・・・・
「こんなところにいた」
 いつの間にか帽子を深く被った人が通路に立っていた。この人の連れだろうかと、ふたりを交互に見てみる。口元以外は長い黒髪で覆われて顔がまったく見えない、近寄りがたい雰囲気を持っていた。
「おやおや、お話中だったのかい」
 意外そうな声を上げた。
「何かあったのか」
 鋭い視線と一緒に投げかける問いに対して、相手は曖昧に口を歪め「まあね」と、答えた。
「わかった・・・・・・話し相手になってくれて礼を言う」
「こちらこそ」
「バイバイ、少年たち。良い旅を」
 帽子の人は去り際にそう言うと、彼らは隣の車両へと移動した。
「・・・・・・なあ、ザビ。あいつ、今『少年たち』って言ったよな」
 通路に顔をのぞかせたときには、連結扉から入れ違いに濃紺地に金色のボタンをつけた制服と帽子を被った車掌がはいってきた。機械的に順々にボックスシートに声をかける様子を見て、ボクは鞄の底にしまっておいた切符を探った。
「切符を拝見いたします」
 差し出された手に切符を渡したとき、いつ目的の駅に着くか訪ねてみた。
「明日の昼頃を予定としています」
 車掌は切符を確認して判子を押して答えると、通り過ぎていった。

だいぶ静かになってきた。さらに冷えてきた空気にボクは身をすくめ、コートの襟をたてた。暇になってきて、ほんの少し周りを眺めていると、向かいの列に家族連れがいた。まだ幼い男の子と女の子が両親の前で、寝る前のお祈りを唱えていた。熱心な信者の家なのだろう。それぞれの手に太陽を象ったロザリオを巻きつけていた。

凍りついた世界では、太陽神である女神が広く信仰されていた。

『雹は、女神が人間の罪を罰するために与えた受難である。過去の罪を悔い改めば、いつかは太陽が復活する・・・』

そう信じる人が大半であり、考え方だった。ほとんどの町や村には礼拝堂が建てられ、女神像の前で彼らは毎日祈りを捧げているそうだ。
 ボクは家族連れから目を離した。
「ザビは無神論者なのか?」
 ブックは他の人に聞かれないように訊いてきた。この質問に、ボクはいつもきまってこう答える。
「神さまをまったく信じていないわけではありません。ただ、わからないのです」
 幼いころから、神や精霊は目に見えない存在であり、形を成して崇めてはいけないと言われて育った。形あるものはいずれ朽ちてしまう。そのかわり、ちゃんと心の中に存在するから不要だと。それが“当たり前”だと思っていた。
 ところが、村を出たそこでは、偶像崇拝が“当たり前”であり、“ねばならない”行いだった。しないのは信仰が薄いからだと言われる。だから、ボクは皆の言う信者ではない。もっとも“風の山頂”ではさほど熱心な信者はいなかったので、強制されるような勧誘はなかったから、ずいぶん気が楽なほうだった。
「こういう考えをもっているから、教会から嫌われるのでしょうね」
「よくわかんないな。さて、そろそろオレを鞄の中に入れろ。寒くて凍えそうだ。」
 寒いだの暑いだの、なぜソフィーはブックに感情や感覚を与えたのだろう・・・・・・。言われた通りに鞄の中にブックを入れ、そして用心のため鞄の紐を肩から斜めにかけておく。
「おやすみなさい」
「おやすみ・・・寝坊するなよ」
 振動する座席を背に目を閉じた。


第04話/ 目次/ あとがき
2004/11/20  黄伊魔