第06話『旅の途中』

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どこまで続いているのだろう。ボクは適当な大きさの石に腰掛け、目の前に広がる荒れ果てた大地を眺めていた。足跡、車輪、蹄―――それらを無造作に刻んだ道は、まだまだ遠く遠くへと伸び続いていた。駅舎を出て3日経ち、次の町すら視界に入ってこない。
「おーい、大丈夫か?」
 大きく揺れた鞄から、ブックの不安そうなハスキー声が上がった。
「あのさ、そろそろまずいんじゃないの」
 見えているわけでもないのにするどい勘をしている。すでに何もしていなくても、足の裏は前後に引っ張られるような激痛に苛まれていた。
「今日も野宿だな」
 ボクは深く息を吐いた。
「……すみません」
 申し訳ない気持ちになりながらも、せめて冷たい風が当たらない適切な場所はないか見渡した。すると前方に、何かぼんやりと影が見えた。
 なんだろう。気になって、痛いのを我慢してそこまで歩いてみた。

「馬車だ」
 2頭立ての幌付き馬車が左に傾いて止まっていた。後ろから荷台を押しあげる傭兵と、手綱を引っ張るバンダナを巻いた女性の姿が見えてきた。もう1度馬車に視線を戻すと、後方の車輪が溝にはまりこんで動けずにいたのが、ようやくわかった。
「馬車! やった! これでようやく屋根のある暖かい所で寝れるぞ。乗せてもらえ……ん?」
 ボクも揺れんばかりの蹄の音に気がついた。後ろから馬に乗った青と白のツートーンカラーのサーコートを着た騎士が、ものすごい速さでこちらに向かってきた。
 教会騎士
 急いで道からはずれると、狂ったように疾走する3頭の馬が激しく大地を削り、黒い風となってあっと言う間に吹き抜けていった。
 風がおさまるとボクは顔をしかめた。
「まったく、マナーもなってない連中ね」
 馬車の後ろから出てきたバンダナの女性が苦々しく言い放つと、左右を交互に見渡した。ちょうど彼女の目とボクの目が合った。
「ああ、これは丁度いいところに」
 向こうにいる彼女がボクを呼んで手招きした。しかし、彼女の腰に差している2本の細身の剣が見えて、ボクはちょっとだけ距離を置いて近づいた。そして、そのにっこりとした笑顔が、何を言おうとしているかがわかった。彼女は優しく言った。
「お駄賃はでないけど、手伝ってちょうだい」
 馬車と彼らを交互に見た。困っている相手を無視するなんて、できなかった。さっきの連中を見た後ならなおさらだった。
 引き受けると、彼女は後ろから押すように指示した。それに従って移動すると、手を休めていた傭兵が何故か、ボクをじっと見て首を傾げていることに気が付いた。カールした黒いあご髭を蝶々に結んだ青いリボンと変わった出で立ちをしているが、腕は立ちそうだ。彼から粗野な感じは受けなかったが、ボクは自然と革鞄を押さえる手が強くなった。
「何しているの。押して」
 気になりながらも、彼女の掛け声にあわせて荷台を押し上げていった。長年使い続けていたのか、馬車からところどころ軋む音が聞こえた。ようやく車輪が動いて、平らな道に乗り上げた。
「助かったよ」
 彼女は礼を言った。小柄なのに強烈な存在感みたいなものを感じ取った。
「ところで、あんたはどこまで行くの? 見たところ学者のようだけど」
「東……いえ、中央の都に向かいます」
 すると、今まで黙っていた傭兵が迷わず提案した。
「それなら、我々とフリージアの街まで一緒に乗ったほうがいいんじゃないか、オーナー」
「そうね、通り道だし」
「ま、待ってください。そこまでしていただかなくても……」
 でも、確かに中央へ行くにはフリージアを通ることになる。それに、3日間歩き通しで心身ともに疲れていた。迷ったが、「ここは山賊が出ることもある」という傭兵の助言と疲れていることを指摘され、とうとう一緒に行くことに決めた。
「ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「いいよ、ついでだから」
 彼女は手をひらひらさせ、御者台(ぎょしゃだい)によじ登った。ボクは大きな木箱や布袋などを積み込んだ荷台のわずかな隙間に座り込んだ。
 馬を走らせながら、彼女はドロシーと名乗った。後ろを見張っているあご鬚の傭兵はライという。彼らは交易商を営みながら旅をしているそうだ。ボクも簡単に自己紹介をした。
 揺れる荷馬車の中で急に強烈な眠気に襲われ、縁に寄りかかった。そして、だんだんとまぶたが重くなっていった。

肩を揺すられ、ボクは目を覚ました。横でドロシーが膝をついて顔をのぞかせていた。いつの間にか横になって眠っていたようだ。
 「相当疲れていたようね。いくら揺すっても起きなかったよ」
 まだ頭の中がぼんやりとしていた。身体を起こすと肩から毛布がずれ落ちた。それにボクは目を丸くした。
「降りておいで」
「あの……」
 毛布を端と端を合わせ、幌をめくったドロシーを呼び止めた。
「毛布、ありがとうございました」
「真面目だね」
 軽く鼻先で笑われて、ボクはさっと顔が熱くなった。彼女はお構いなしに荷台から飛び降り、瞬時に幌が下がった。
「……ブックさんは、ここでおとなしくしててくださいね」
「そりゃないよ!」
 ブックの不満な声を背に、後ろの幌をめくった。いい匂いが漂ってきた。荷馬車は視界の利く荒野に止まっていた。ボクはまだふらつきながらも、荷台から降りた。
 天井代わりの布の下はオレンジ色の染まり、その中であご髭の傭兵が鼻歌交じりに、杓子で鍋のスープをかき回していた。
「できたぞ」
 横に3つ分のお椀があることにボクは戸惑った。毛布のことといい、彼らから見れば部外者である自分にどうしてここまでしてくれるのだろう。
「遠慮するな」
 そう言って、彼はスープをよそったお椀をボクに差し出した。
「ボクなんかが頂いて……」
「出されたものは食べる。粗末にすることは許さない」
 彼女はお祈りのように唱え、そのまま食べ始めた。
「ケチなオーナーがこう言っているんだ。食べなさい」
「節約名人と言って欲しいね」
 だが、ライはこっそり、
「彼女は妙なところで、せこいオーナーなんだ」
 と耳打ちした。宿屋の残り物を貰って食いつないだり、町外れで野宿しながら、日々を過ごしていると話してくれた。
「ここのところ赤字だからな……」
 そう言っているわりには、ライ本人は逆に楽しんでいるかのように見えた。広い世界にはこういう風にして生きている人たちもいるのだなと、感心した。
「話しもいいけど、冷めるよ」
「あ」
 ずっとお椀をもったままだった。確かにすこしだけぬるくなっていた。
「それでは、いただきます」
 丁度いい具合の温度になっていたから、食べやすかった。焚き火が心地よく弾じいた。
 そういえば……、ボクは橙色の火を見て思い出した。村にいた頃も家族とこうして火に囲んで、食事をしながら会話をしたな。  懐かしくもあった。悲しくもあった。


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2005/01/09  黄伊魔