[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

第13話『望みを棄てぬこと』

第12話/ 目次/ 第14話


荷車を引く音が聞こえる。まどろみが破られて、ボクはうっすらと目を開けた。
 そうだ、一緒にこの部屋で寝泊りしたんだっけ……。
 昨日の記憶が蘇ると、ぼんやりと部屋を見渡した。ライの姿はない。ドロシーは毛布に包まったまま、すやすやと眠っていた。床に置いたままの鞄からは、熟睡しているらしいブックの寝息が洩れていた。起そうかとも思ったが、やめた。
 ボクは毛布を引きはがし、ベッドから起き上がった。部屋の冷気がさして、厚地の黒いローブを着ていても少し震えた。コートを肩に羽織り、そっと鞄を持って部屋を出た。
 両手に息を吹きかけながら階段を下りていくと、暖炉の前でライが足を組んで座っているのが見えた。顎髭をさすりながら考え込んでいる。その険しい表情が火の明かりで窺えた。何か張りつめた、でもどこか寂しげなようで、ボクはこれ以上近寄ることも声をかけることも躊躇った。
「ザヴィアー、か」
 びくりと、全身に鳥肌が立った。
「そんな所に立ってたら寒いだろ。こっちに来て温まったらどうだ」
 ライが片手を上げ、手招きした。とたんに、体が軽くなったような気がした。その言葉に甘えて、隣に座ることにした。
「よく休めたか?」
「……ええ。十分に休息はとれましたから、大丈夫です」
 ボクは心配はかけまいと、笑みをつくった。コートを体に巻きつけ、少し火の傍に寄る。
「ライさんはどうなんですか? ずいぶん早くに起きたみたいですけど」
「いやぁ。俺はベッドで横になると、目がぱっと覚める。地面の硬さが恋しくなってしまってね。慣れ、だな」
 ライは無骨の顎に笑みを浮かべる。それからボクたちはしばらく話をした。暖炉の中で泥炭の火が勢いよく燃え、冷え冷えとした空気に暖かさが広がった。
「……そういえば、さっきここの主人から聞いたんだが」
 両手をかざしているところに、おもむろにライが話しかけた。
「鉄道が運行停止になったそうだ。なんでも指名手配中の男が乗車していたとかで、捜査のためしばらく見合わせることになったらしい」
「そう、ですか。1週間前までは普通に動いていましたのに。……ここから“賢者の都”まで、歩いたらどれくらいかかりますか?」
「“塩の道”っていう交易路がある。途中に南方面への別れ道があるが、真っ直ぐ歩けば迷うこともないだろう。そうだな、20日くらいで着くかな」
 道のりに村や小さな町はあるが、それでも保存食は買っておいた方がいいだろう、と教えてくれた。
「でも、気をつけたほうがいい。東は今でもレジスタンスと大教会とで火種がくすぶっている。いつ、何が起こってもおかしくない状態だ。3ヶ月前に大教会の巫女が行方不明になってから、ますます検問も厳しくなっている」
 東の果て“聖都”で起きたその事件なら、記録館にいた時にちらっと聞いたことがあった。大教会の本拠地で起こったとなると、おおごとだ。それにしても、最近の話題にレジスタンスのことが目立ってきたような気がする。ボクはますます館長の身が心配になってきた。

 ――真実を見つけなければならないのだ。
 そう言って旅立った館長。
 ――時間がない。『真実の書』を集めなければ……。
 不可解な手紙を送ってきた館長。
 貴方は今、何処にいるのですか? 求めて得ようとしている『真実』のために、誰かに狙われているのですね?
 ボクは何処かにいるであろう恩師に一方的に語りながら、暖炉の炎をじっと見た。不安は拭えず、増すばかりだった。

「昨日言っていた探し人のことを案じているのか?」
 ボクはぎこちなく頷いた。
「無事だと願いたいんです。けれど」
「こんなご時世でも、望みを棄てたらそれまでになってしまうぞ。諦めるにはまだ早すぎる」
 そう言って、彼はボクの頭に手を置いた。それはすべてを包み込んでくれるような、とても大きく温かな手だった。
「見つかるといいな、お前の先生」
 頭を撫でてくれる彼を、目を細めて見上げた。
「俺たちは荷馬車の修理で、しばらくフリージアに留まっているから何かあったら相談に来な。困ったときはお互い様って言うだろ、少年」
「もう成人です」
 子ども扱いされたのが悔しく、ついむっと言い返してしまった。彼は笑いながら、ボクの背中を押すように叩いた。痛いのに何故だろう。嬉しかった。


「さて、そろそろオーナーを起すか。一緒に来るか?」
「いいえ。ここにいます」
「そうか。また後でな」
 ライが2階へ上がっていくと、ボクはその場に膝を抱えた。
 厨房から、食器の音や何かを煮込む音が聞こえる。おいしそうな匂いが漂ってくると、お腹が空いてきた。
 ふとボクは、堪えるような笑い声に気づいた。
「起きてましたね」
 ボクは鞄を開け、ブックを見た。
「ほら、オレって繊細だから。いつもお前の寝相の悪さに冷や冷やして不眠症なんだ」
 嘘つけ。あれだけイビキかいて寝ていたくせに。
「オッチャンって頼りがいがあるよな。ザビからしたら親父に見えるんじゃない?」
「何を言っているんですか。ボクの父は……」
 父が、なんだって? ボクの方こそ何を言っているのだろう。父親のことなんて名前しか知らないのに。
「ひょっとして、自分の親父が嫌いか?」
「知りもしない人物を嫌になるなんて馬鹿げてますけど、どうしても深入りはしたくないんです」
 ボクは気を紛らわそうと、何気なく窓の方を向いた。起き出した人はまだ少なく、街には人通りがない。家々の煙突から煙があがって、ゆらゆらとなびいている。ボクはしばらくその通りを眺めた。
 その時だ。ボクは路地の物陰に立つ何か人影のようなものを目にした。
 ―――まさか……。
 とっさに昨日襲ってきたあの覆面たちを思い浮かんだ。
 路地の濃い影から覗く目と、ボクの目が合ってしまった。相手は驚いたようで、奥へと逃げ出した。
 ボクはすぐに宿屋から飛び出し、その路地に駆けつけた。「急に揺らすな」とブックが叫ぶ。しかし、そこには人影はいなくなっていた。足元に注意すれば、泥のついた足跡が確かに残されていた。
「どうしたんだよ」
「ここに、誰かがいたんです」
 宿屋の窓の方へ目を向けると、ちょうどさっきまでボクが座っていた場所が見えた。
「気味が悪いな」
 ブックは不安そうに言った。ボクも同じ気持ちだった。
「ここを出ましょう」
 できるだけ早く。そう決めた後、宿屋の2階を見上げた。冷たい雹が顔にかかる。
 これであの2人と、お別れになる。


第12話/ 目次/ 第14話
2006/07/07  黄伊魔