第11話『逃走』

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「お前たちの館長は、今どこにいる?」
 雷光によって、路地に立つ大柄な黒い人影が照らされた。布で覆面をしていて顔が見えない。腰には剣を下げていた。
「ど、どうしたんだ? ……ザビ?」
 心配そうな声をあげるブックに黙っているよう頼んだ。鞄から何も聞こえなくなったこと確認すると、ボクは1歩、また1歩相手との距離を離した。
『気をつけてください。クルークには敵が多いですから』
 カラム司書官が言っていたことが、頭の中で横切った。ボクは嫌な予感がして、すぐに逃げ出そうとした。
 ところが、それを予期していたかのように、左右から1人ずつ新たな覆面が道を塞ぐように姿を現した。たちまち3人の覆面たちに取り囲まれ、両腕を押さえられた。もがいたり、叫んだりして抵抗すると、首筋に何か冷たい金属みたいなものを押し当てられた。それがナイフだと気がついたとき、ボクの頭と足が統制が崩れ、くすんだまま動けなくなった。
「まだ死にたくないだろ?」
 そのまま路地裏に引きずりこまれた。

袋小路まで連れ込まれると、壁際に突き飛ばされた。痛みに耐えて起き上がると、最初に現れた大柄な覆面が立ちはだかった。唯一の逃げ道には彼の仲間が待機して、遠目でボクを見張っていた。見渡しても他に人影はなかった。
「もう1度訊く。クルークはどこだ」
 大柄な覆面は、今にも食って掛かりそうな勢いをぎりぎりに抑えているかのような声を出した。唯一覗かせている灰色の眼は、冷たく光らせていた。
 ボクは震える手を押さえつけた。こちらは館長の行方は何も分かっていない。それに仮に知っていたとしても、彼らに教える義理はない。
「知りません」
 突然首を掴まれ、足が地面から離れた。ボクは息苦しさに思わず相手の腕を掴む。
「正直に答えた方が身のためだぞ!」
「し……しりま、せん」
 この人の目を見てわかった。この人は人を殺すことなど造作にできる。
「それなら別の質問をする。『真実の書』って本を知っているか?」
 今なんと言った? 『真実の書』と言わなかったか? すぐに鞄の中のブックを思い浮かべてしまい、すぐに目を逸らした。それがいけなかった。
「知っているんだな! どこにある!」
 この人に絶対渡してはだめだ。これがボクにできる精一杯の抵抗だった。
「お前の首を圧し折って、鞄の中を調べても一向に構わないんだぞ」
 脅すように言うと、首を圧迫する力が強くなった。死の恐怖がだんだんと忍び寄ってきた。
「火事だー! 火事だー!」
 ブックが鼓膜を割らんばかりに叫んだ。
「誰か来い! というより、来やがれ! 火事だー!」
 塀を挟んだ向こう側がざわついてきたことに、彼らはうろたえ始めた。首にかかっていた力が急に無くなり、そのまま地面に落ちた。離された後も、ボクは喉に手をあてて咳き込んだ。
 今度は怒鳴り声が響いた。
「なにぐずぐずしてるんだよ! 早く逃げろ!」
 ボクはすぐさま起き上がり、彼らの合間をくぐり抜け、一気に駆け抜けた。

暗く狭い曲がりくねった路地をやみくもに走った。どんなに早く走っても、追いかけてくる複数の足音が聞こえていた。
 どれだけ走ったのか、ここがどこの通りなのか、どうすれば大通りに出られるのか分からなくなった。何か目印か標識みたいなものはないかと周りの闇を探るが、どの塀も建物のレンガも同じに見えてしまう。気のせいだと思いたいが、奥へ奥へと押し込まれているような不安があった。
「どこか隠れる場所とかないの? 匿ってくれる所とか」
 ボクはどちらも知らない。息を切らしながら走り続けた。
 風が強くなり、雹は前よりひどく全身を打つ。もうこれ以上走れなくなったところで、前方からやってくる別の足音に気づいた。
 しまった! 両側から挟まれてしまっては逃げ切れない。慌てて横道にそれようとしたが間に合わず、弾力のある壁にぶつかった。
 今度こそ捕まるという絶望か、全力疾走からの疲れか、急には立ち上がれなかった。
「ザヴィアーじゃないか?」
 聞き覚えのある低い声だった。さらにもう1人、細身の人がランプを片手に近づいてきた。膝をついたまま見上げると、リボンで縛ったあご髭とバンダナをした女性の姿が見えた。
「ライさん? それにドロシーさんも?」
 助け起こされても、ボクはまだ半信半疑だった。
「どうしてここに?」
「それはこっちが聞きたいよ。ねえ、このあたりで火事があったらしいけど、知らない?」
「いたぞ! こっちだー!」
 振り返ると、追っ手が迫ってくる光景が飛び込んできた。ライが前に出ると、10メートル先で追っ手たちは止まった。
「おとなしくその学者をこっちに渡せ!」
 3人の追っ手は武器を抜き、威嚇しながら詰め寄ってきた。
「邪魔をするなら、容赦しないぞ!」
「そうはいかないよ。関わり合いがあるからね」
「遠慮なくお邪魔させてもらう」
 そう言い放った2人を交互に見た。
 どうして庇い立てしてくれるのか分からない。けれど、その行為はうれしい。あの覆面の連中には捕まりたくない。
 冷たい風が掠めていった。
 でも、巻き込んではいけない気がした。
「オーナーと一緒に下がっていろ」
 危ないと言おうとしたが、寸前でドロシーに押さえられた。
「ライなら大丈夫だ。それよりもう少し後ろに下がらないと」
「待ってください。彼ひとりだけでは危険すぎます。それにあの人たちの目的はボクです。おふたりには元々関係ない……」
 不意打ちでドロシーに襟首を掴まれた。
「いいから下がる! じゃないと当て身を食らわすよ!」
 ドロシーに半ば強制的に引っ張られながらも、ボクは彼らから目が離せなかった。
 あたりが静まり返った中、覆面の1人が剣を構えてライに向かって突進してきた。剣に貫かれるより前に、ライはゆらりと動いて相手の手首を掴み、次の瞬間地面に叩き付けた。反対側からもう1人が襲い掛かってきた。振り下ろされた剣を鞘で受け止め、弾き飛ばした。体勢が崩れたところを、鞘で殴って失神させた。
 最後に残った大柄な覆面は慎重に剣を構えた。
 ライが1歩前に踏み出ると、一瞬にして空気に静電気が帯びた。すぐ近くで稲妻がひらめき、耳が痛くなるほどの雷鳴がとどろいた。
「去れ」
 たった一言だった。命の流れを止めてしまうくらいの剣幕が、彼からほとばしっているようかのようだった。
「くそ! ……退くぞ」
 リーダーに続いて、もう1人が失神した仲間を担いで走り去っていった。


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2005/07/02  黄伊魔