第10話『手がかり』

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……おかしい。教えてもらったとおりに歩いたはずなのに。
 ちっとも図書館が見つからない。またたく間に時間が過ぎていった。
「ねぇ……ねぇってば!」
 ブックが苛立ったように尋ねた。
「まだー?」
「もう少しのはず、なんですけど……」
 正直、こんなに迷うなんて思ってもみなかった。大きく広く見えた“フリージア”の街並みは、実はいろいろなものが凝縮されており、門から真っ直ぐに伸びている大通りをちょっと逸れただけで、横道や斜め道で入り組んでいる。初めて訪れた者にとってここは迷路だ。
 ボクは方向感覚がおかしくなり始めて、1度立ち止まった。地図で現在地を確認すると目的地とはだいぶ離れていた。
「迷路で迷子のオレたちは……迷宮、永久、レスキューか」
「変な歌を歌わないでくださいよ。今度こそ大丈夫です」
 ボクたちがいる位置から図書館までの道のりを割り出すと、再び歩き始めた。途中、人に道のりを教えてもらい、ようやく図書館の正面玄関が見えてきた。本当に歌のようにならずにすんで、ボクはほっとした。
「用件を終えるまで時間がかかると思いますから、寝ててもいいですよ」
「子ども扱いするな。まだ眠くない」
「はいはい」
 ボクは地図をコートのポケットの中にしまいこみ、前方に向かって歩いた。

玄関に入ってすぐ横の窓口から、わし鼻をした初老の男が顔を出した。茶色のローブに司書官を示すメダルを下げている。ボクは防寒帽子をとり、挨拶をした。
「はじめまして。記録館のザヴィアーといいます。この1年の間に記録館の館長がこちらに訪れたかどうか話を伺いにきたのですが、お時間をいただけないでしょうか?」
 すると、わし鼻の司書官はボクを見るなり目を見開いた。沈黙が続いた。
「これは失礼をしました。知っている人に似ていたもので」
 ようやく司書官が口を開いた。彼の首下にあるメダルは揺れている。
「クルークのことでしたね。立ち話もなんですから、中へお入りください」
 うながされて、ボクは彼のあとをついて歩いた。暗闇の中にぎっしりと立ち並ぶ本棚は、学びの巣窟と化し、いやでも記録館の書庫室を思い出させた。眺めているうちに興味深い本を数冊見つけ、読みたい誘惑に駆られた。でも、押さえた。
 本棚の通りを過ぎ、やがて執務室に通された。彼はカラムと名乗ると、椅子に腰掛けた。そして、1年前に館長が訪れた時のことを話してくれた。
「急に来たものですからびっくりしましたよ。あの時は宿屋でつい一晩中飲み明かしましてね。よく覚えております」
「そのとき、何か言っていませんでしたか?」
 カラム司書官は少し考え込んだ。ボクは落ち着かなくなった。
「長い旅になりそうだとか、償いきれるだろうかとか……ただ、酔っていたのでなんとも」
「償い……。どういうことですか?」
「おそらく、弟子とケンカ別れしてしまったことでしょう。そのことでずいぶん思い悩んでいたようですし」
 そこまで言うと、カラム司書官は少し難しそうな顔になった。
「まさか、クルークの身に何か? 記録館からクルークが来たかどうかの確認の連絡がありましたし、この前も彼について尋ねてきた人がいたので気になっていたのですが」
「分からないんです。旅に出たきり連絡がないので」
 そこまで言って、ボクは言葉を切った。
「今、尋ねてきた人がいたと仰いませんでしたか?」
「ええ。10日程前になりますか、1人の青年が入ってくるなりしつこく『クルークは何処だ』と、叫んでおりまして……あまり穏やかなではありませんでしたね」
「どんな方か覚えていますか?」
「つんつんとした髪に、ハチマキをしたような気がします。あなたも気をつけた方がよろしいですよ。クルークは敵が多いですから」
 しっかりとその特徴を頭に叩き付けた。
「お忙しい中、ありがとうございました」
 ボクはお礼を言うと、執務室から出ようとした。寸前に背後から制止する声をかけられた。
「つかぬ事を訊ねますが、あなたは……エルンストという名前に心当たりがありますか?」
 身体の底から湧きあがった冷や汗が凍るほど驚いた。その名は、顔も知らない父と同じだった。
「知っているのかい?」
「いいえ」
 両手をきつく握り締めた。
「存じません」
 ……嘘だ。
「そうですか。あなたが先ほど話したクルークの弟子に似ているような気がして……はは、そんなわけありませんよね。もう20年以上も昔のことですから」
 ボクは早々と図書館から出て行った。

今夜泊まる宿を探そうとメイン通りに向かう道すがら、『エルンスト』という名前が頭から離れられなかった。名前が同じというのはよくあることだが、もしかしたらという思いが捨て切れなかった。
「さっきからため息ばっかり。幸せが寄り付かなくなるぞ」
 ボクは何も答えなかった。
 強い風に吹き付けられ、雹は狂ったように舞い上がり再び落ちていく。空は重苦しい雲に覆われ、遠くの雲と雲の間には不穏な光が放電していた。それが徐々に近づいてきているのに気づいた。
 その刹那、背後に何か睨まれているような視線を感じた。鞄の紐をきつく握り締め、思い切って振り返ってみた。暗い路地の奥から霜を踏み鳴らす音が聞こえた。
 気のせいではない……。
 ますます背筋が強張り、しまいには足が動かなくなった。
「記録館の学者だな」
 有無を言わせぬ圧力のかかった声が闇の中から響いた。


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2005/06/05  黄伊魔